途絶えた夢の続き

大学生の頃に仲の良かった同級生が亡くなった。ブログに書いていいものかと迷ったけれど、今の心情を今後忘れないためにも書き残しておこうと思う。

 

亡くなった友人と本格的に仲良くなり始めたのは、大学2年生になってからのこと。

サークルに顔を出し始めたのが1年生の秋になってからのことであって、なかなかはじめ溶け込めなかった自分の隣によく座ってくれていたのを覚えている。

大学1年生の頃は家の最寄駅も同じだったので、偶然会ったりもしていた。

 

旅行をしてはお互い旅先で暇を持て余してメッセージを送り合って、ブカレストを旅する友人にティミショアラ美味しそうな地名だねなんて他愛もない話をした。私の知らない話を一つ一つ噛み砕いて教えてくれた。友人に関しては飲み会ではエンジンの真似をしたり、大暴れしては周りの笑いを取って、内なるエネルギーを秘めた強者としてサークル員から慕われていた。

 

そんな空気に便乗して友人の眼鏡を取って遊んだり、意味もなく説教したりとかなり自由に過ごしていた。信頼関係は構築されていたので、本人もきっと悪い気はしていなかったと思う。

 

大学を卒業してからも、研修中に溜めた鬱憤を晴らしにシーシャに付き合ってもらったり、夏休みの旅程のためにイランの会を開いてもらったり、挙げ句の果てには宿泊先や搭乗する飛行機まで選んでもらっていた。まるでおんぶに抱っこである。ラボで忙しいにも関わらず友人を馬場に呼びつけて、喧嘩した日もあった。

 

社会人1年目の頃は東京に実家があったので定期的に会えてはいたが、2年目になってから実家が田舎に移ったこともあり、殆ど会わなくなってしまった。

 

そのような中で彼から日々発信されるツイートの中から、抑うつ気分を訴えるものが散見された。

 

今思えば表面上ニコニコしている彼なりのSOSだったと思う。不眠や体重が4kg痩せて、胃痛などの消化器症状、離人症、性機能障害まで事細かく定期的に呟かれていた。

 

それでも時として送られてくるぬいぐるみの画像や、九州に遊びに来てくれる連絡などを取り合っていたので安心しきっていた。

 

最後に会ったのはサークルの追いコンの日でOBOGとして顔を出したとき。自前のウイスキーボトルを持ち込んでいた事以外には、特に違和感なかった。今思えばアルコールで気を紛らわせて居たのだと思う。その3日後に彼は亡くなった。

 

あのときに無理矢理にでも適切な治療と療養を受けていれば、今生きていたのかも知れないと自責した。私はなぜ、どのように彼が亡くなったのかを知らない。けれども彼がラボや修論で悩んでいたのは自明であり、様々な偶然が重なって起きた不慮の事故と認識するのは残された人達からすればそう解釈した方が楽になるかもしれないけれども、抜本的に何も解決にならないと思っている。